主のご降誕おめでとうございます。2025年という年も、もう少しで終わろうとしています。
皆さんにとって2025年という年はどのような年になったでしょうか。
年々温暖化の影響で大雨が降ったり、暑くなったり、自然災害がどこで起こっても不思議でなくなってきました。
また、秋田県ではクマの脅威が日常生活の中にも入ってくるようになりました。
世界の中でも戦争や、紛争が続いています。このように悲しい出来事が多い世の中ですが、人には知られていないところで良い働きをなさっておられる方々もおられます。
2000年前、闇の中に光を灯す存在としてイエス様はひっそりとお生まれになりました。
そこに消えることのない希望の光りが灯されました。
聖書が伝えている主の降誕の場面に次のようなみ言葉があります。
「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2章6~7)と。
自分の居場所がないということは、必要のない存在とみなされ、そこに孤独感が生まれてきます。
ですから成人したイエス様はこのように人々を招いています。
「疲れた者、重荷を負う者はだれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と。
居場所のない人々の気持ちをご存知だからこそ、すべての人を招いて居場所を提供なさっておられているのでしょう。
最近、購入した本にエリナー・ファージョンの「マローンおばさん」というとても素晴らしい本というか詩に出合うことができました。
独り占めするのはもったいないので少し紹介させていただきます。
「マローンおばさん 森のそばでひとり貧しくくらしていた。
お皿には 一切れのパン だんろには なべひとつ 話し相手も じぶんだけ ひとりぼっちの さびしいくらし。
肩かけをし ずきんをかぶり 家のまわりで たきぎを拾い 古いぼろの 荒布しいて 床の上で ねむっていた。
だれひとり ひとりとて、様子をたずねる人もなく心にかける人もない。
なんで あんなばあさんのこと、大さわぎするんだい。
ほうっておけばいいじゃないか、マローンおばさんのことなんか。
ある冬の月曜日 雪は深く ふりつもり 足音ひとつ 聞こえない。
こおった窓をつつく かすかな音に 気がついて おばさんは 窓べによって 耳をすませた。
そこにいたのは スズメが一羽。みすぼらしくもよわりはて、まぶたは半分 ふさがって くちばしも こおりついていた。
おばさんはすぐに窓を開け 小鳥を中に入れてやり 胸にだいて つぶやいた。「こんなによごれてつかれきって! あんたの居場所くらいは ここにあるよ」 火曜日の朝に おばさんがかわいたパンを かじっていると スズメがそばで パンくずつつく。(「仲間がいるとはうれしいね!」
戸口のところで 音がする、カリカリ つめで ひっかく音が。そこにはネコが一ぴき、かけ金に 前足をかけていた。 おなかをすかせ のどもかわき 棒きれのように やせこけて、こおりついた のき下で かぼそい鳴き声たてていた。
おばさんは とびらを開けてやり パンがゆ すこし温めた。 年とったひざに あやしてやった。
「まあまあ おまえさん、骨と皮に やせこけて。あんたの居場所くらい ここには あるよ」このように次々と訪問者は訪ねてきました。
水曜日には、お腹をすかせた母さんギツネが六ぴきの やせたほそった子ギツネを連れてきました。
木曜日には重い荷物を 負いつづけ 背中にきずがあるロバがやってきました。
金曜日には お腹を空かしたクマがやってきました。
おばさんは荒布もずきんも 肩かけも、パンもお茶も なにもかも 分けあたえました。
「次から次へと 家族が ふえました。 でももう一ぴきぐらい 居場所はあるよ」と。
土曜日の夜が来て ごはんの時間になったけど おばさんは 起きてきませんでした。
ロバの背中に マローンおばさんを乗せて 動物たちは 運んでいきました。
日曜日の朝が来て 最後の雲の峰を超え 天国の門へと 進んでいきました。
「だれだね」と門番の聖ペトロさま。
「おまえたちが そこに連れてきたのは」 ロバにスズメ、ネコにキツネにクマは声をそろえて さけびました。
「ご存じないのですか、わたしたちの母さん、マローンおばさんを。貧しくて なにも持ってはいなかったけれど、広く大きな心で 私たちに 居場所を与えてくれました」
そのとき マローンおばさんは 急に 目をさましました。
声をひそめて こういった。「まあ、いったい ここはどこ?わたしは なにを見ているの?おまえさんたち、帰りましょう。
ここは わたしの来るところじゃないよ」 けれども 聖ペトロさまは いった。
「母よ、入って王座のそばへ おゆきなさい。 あなたの居場所が ここにはありますよ、マローンおばさん」
居場所を持たないマローンおばさん、けれどもたくさんの動物たちに居場所を提供していきました。
この話に出てくる月曜から土曜日は私たちの日常生活のように思えました。
その日常の生活の中で困っている友に居場所を提供していくこと。
土曜日の晩は私たちに訪れる人生の終着点、そして日曜日は神様から与えられる復活の喜びにつなっがっていくのではないでしょうか。
居場所を持たない人たちとは? 私たちの周りに誰かいませんか?
あなた自身が居場所を持っていないかもしれませんね。
イエス様は、すべての人が憩える居場所になってくれます。
わたしたちもマローンおばさんのようにキリストの光を分かち合っていくことができますように。
皆さんクリスマスおめでとうございます。