2023.3 聖土曜日の霊性 主任司祭 飯野 耕太郎
主のご復活おめでとうございます。
今年の冬は昨年と比べ雪は少なかったのですが、とにかく寒かったですね。水道管が凍って司祭館のお風呂が数日使えなかったこともありました。
ですから春の陽射しが少しずつ強まっていくのを楽しみに待っていました。
また、コロナ感染症も五月には五類になり、緩和されていくそうですが、高齢者の死亡が毎日のように出ているのも気になるところです。
用心しながら、教会活動も再開していこうと思います。
そして、ウクライナでの戦争は一年が過ぎました。
いつまで続くのでしょうか。
毎日、多くの方々が亡くなっています。
一日のびるごとに無益な血が流されていきます。
指導者たちの心に和平への思いが強まり、平和への道が開かれますように祈り
続けたいです。
ところで、私たちは聖なる過ぎ越しの3日間の典礼の中で今、復活祭を迎えました。
聖金曜日はイエス様が、十字架にかかった日です。
日曜日は主のご復活をお祝いします。
聖土曜日は夜には復活徹夜祭が始まりますが、墓に葬られている日中の土曜日は意外と見過ごされています。
最近読んだ本の中に、聖土曜日の霊性という表現が出て来てハットさせられました。
それは1953年生まれのコーネル・ウェストという黒人神学者の言葉です。
黒人が400年に亘る苦難のなかで培ってきた霊性をそう呼んでいます。
金曜日とイエス様が復活した日曜日の朝。
その二つの時の間にいつ終わるとも知れない暗い時を意味しています。
その辛い、苦難に耐えがたい聖土曜日に、自らに問うてほしいという願いがあります。
あなたはそんな中で、どんな人間となりたいのか。
どんな人間になることを選びたいのか。
という問いです。
憎しみを受け続け、いのちを脅かされ続けたなかでも、愛を選びとっていく霊性、それを土曜日の霊性と呼んでいます。
土曜日は自分の在り方を決める日ともいえます。
ですから、土曜日とは、同時に金曜日でもあり、日曜日でもあるのです。
私たちが、起き上がるための力それが土曜日の霊性です。
ハレルヤという言葉も単純な日曜日の賛美ではなく、土曜日の痛みに根差した賛美に繋が
っていきます。
痛みの中に復活の喜びが隠されているのでしょう。
「誰も知らないこの苦しみを」というゴスペルソングがあります。
次のような内容の歌詞です。
「誰も知らないこの苦しみを。
誰も知らない。
イエスの他には。
誰も知らないこの苦しみを。
グローリーハレルヤ!」
十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれたイエ
ス様、そのイエス様なら私たちの苦しみを知ってくださる。
だから、グローリーハレルヤといえるのでしょう。
また、復活なさったイエス様には5つの傷跡がありました。
その痛みの傷を抱えたまま家に隠れている弟子たちに現れてくださいました。
聖金曜日、聖土曜日の痛みに根差した日曜日だったのです。
私たちも聖土曜日を大切にして良いのだと思います。
困難を抱え希望の見えない時、高齢となり記憶力も低下し、これから先どうなっていくのかという怖れと不安に陥っている時、それでも私はイエス様の復活を信じて委ねて生きていこうと決断する時、それはまさしく聖土曜日の霊性を頂いている証なのです。
恐れるな。
私はいつもあなたがたと共にいる。
とイエス様は仰いました。
聖霊のお恵みを願いながら私たちがいつも愛に根差した思いを選び取っていくこと
ができますように。
アーメン・ハレルヤ。
主はまことに復活された。
飯野耕太郎