小学校1年の時、神奈川県の川崎市に住んでいました。夜中に目が覚めましたが、両親がいないことに驚きました。何故か分かりませんが、裸足で寝間着のまま走って行ったのが教会でした。子どもの足で15分ぐらいだったような気がします。教会のお御堂は電気が灯っていました。ドアを開けてみると両親がいました。12月24日クリスマスの深夜ミサが行われていたのです。当時はクリスマスイブのミサは深夜だったのです。救い主の誕生に天使から起こされた羊飼いのようにお祝いに走って行ったのかもしれません。ミサ後に親戚のおじさんに肩車をされて両親と一緒に家路につきました。遠いクリスマスの思い出の一つです。司祭に叙階されて今年で40年を迎えることができました。私の召命はこの時にあったのだと自分なりに思っています。
同期で叙階された4人のうち、すでに2人は帰天し天の故郷に帰っていきました。二人とも秋田教会で働いたことがある司祭でした。数年前に帰天された坂本進神父と今年3月に帰天された竹谷基神父です。竹谷神父とは亡くなる一週間前に面会ができ、体調が良かったのか45分もあれこれ話すことができました。たくさんの人に支えられながら二人とも司祭職を全うされていきました。「道は一本 単純で まっ直ぐがいい。何かを欲しがると欲しがったところが曲がる。道は一本 まっすぐがいい」(相田みつを)。日々回心して軌道修正をしながらこの詩のように生きたいと強く思いました。私も来年は69歳、主任司祭定年まで後6年、残り少ない年数ですが、今自分にできる最後の仕事を果たしていきたいと思っています。
クリスマスは一年の終わりにお祝いされます。そこで今年一年を振り返り自分にとって、秋田教会で特に心に残っている出来事を二つ記してみたいと思います。
一つ目は9月29日に行われた秋田殉教者400周年です。教会としては二年近く黙想会や信徒養成講座、勉強会等を通して殉教者について学んできました。こまごまとしたことは忘れてしまっても、その生き方、信仰の力強さを改めて自覚することができました。いのちは一番大切なものですが、彼らはいのちの与え主に目を向けていました。外は迫害の嵐にありましたが、心は自分の生き方を決める自由であふれていました。不自由な環境のなかでも心の自由はだれも奪うことはできませんでした。
病院で、医師から胎児である子どものいのちを取るか、自分のいのちを取るか選択を迫られたお母さんがいました。お母さんは迷うことなく子どものいのちを助けて欲しいといいながら自分のいのちを差し出していきました。そしてこのお母さんも殉教者の一人となりました。私たちの周りにもこのような殉教者がたくさんいるのだと思います。自分のエゴに死ぬこと、自分のことよりも他の人のことを優先する人、この人たちも殉教者の一人なのだと思います。
殉教者の記念ミサの中で、成井司教様が「信仰は自分が何に生かされているのか、何のために生きるのか、という譲ることのできない『生き方』そのものです。・・
この日を記念するのは殉教者をたたえるだけではなく、その証しによって伝えられた信仰を今、私たちがいきるためでもある」とお説教のなかでまとめて下さり信仰のバトンを受けとる良い日になったと感じました。また、基調講演をして下さった川村神父様がローマ字で書かれた秋田殉教者の名前の漢字名簿作成に難儀されたこと、そして、「この人たちの名前を思い起こすために今日の式典にきたのです」ということばが、印象的でした。殉教者の流した血は教会の種となりました。この譲ることのできない信仰のバトンを私たちも多くの人につないでいくことができるように努めてまいりましょう。
二つ目の心に残った出来事は10月20日に行われた国際ミサです。
今年は今まで午後2時から始めていた国際ミサに日本人の参加者が少なかったので、午前11時から始めることにしました。お御堂は席がいっぱいになり、祭壇前の装飾も多様性を表していました。そして、多言語での歌や朗読、共同祈願と参加者が一つになって神様を賛美することができました。丁度、私の司祭叙階40周年も一緒にお祝いして下さり、司祭冥利に尽きるなと感じました。皆が一つになっている姿こそ何より司祭として嬉しいことはありません。その後、交流会に入りました。ベトナム料理、フィリピン料理、日本料理をそれぞれ手作りで準備してくださり、コロナ後、体力的にバザーもできなくなり、全体で交わる場がありませんでしたので、本当に素晴らしいひと時を過ごすことができました。「愛といつくしみのあるところ そこに神はおられる」という歌がありますが、その歌の通りそこにキリスト様が生まれてくださったことを感じることができました。世界ではウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、ミャンマー、スーダン等、戦争の狂気に見舞われている国々の人々がいます。その人々の苦しみが一日も早く取り去られますように、平和への願いを強めていきたいと感じました。世界が和解と一致の道に向かうことができますように、祈ってまいりましょう。
以上が今年を振り返って私の中で特に心に残った出来事でした。そして、善意ある私たちの小さな行いの中に、キリスト様が生まれておられることを確認していきたいです。
キリスト様の誕生は飼い葉桶で始まりました。飼い葉桶は餌箱です。自分が食べられるために、この世にきたこと、自分を与えるために生まれた事、それは殉教者の歩みとなりました。そして、その教えは端的に言うと生きることは愛することであることを教えてくれました。何故なら愛することによって私たちは一つになることができるからです。
日々の中に殉教者としての生き方ができるように、そして、皆が一つになるように神と人々の為に働くことができますように、どうぞ神様、聖霊の力を私たちに豊かにお注ぎ下さい。
皆さんクリスマスおめでとうございます。
飯野耕太郎