つのぶえ巻頭言

カトリック秋田教会報より

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2024.12 クリスマスは1年の終わり   主任司祭 飯野 耕太郎

 小学校1年の時、神奈川県の川崎市に住んでいました。夜中に目が覚めましたが、両親がいないことに驚きました。何故か分かりませんが、裸足で寝間着のまま走って行ったのが教会でした。子どもの足で15分ぐらいだったような気がします。教会のお御堂は電気が灯っていました。ドアを開けてみると両親がいました。12月24日クリスマスの深夜ミサが行われていたのです。当時はクリスマスイブのミサは深夜だったのです。救い主の誕生に天使から起こされた羊飼いのようにお祝いに走って行ったのかもしれません。ミサ後に親戚のおじさんに肩車をされて両親と一緒に家路につきました。遠いクリスマスの思い出の一つです。司祭に叙階されて今年で40年を迎えることができました。私の召命はこの時にあったのだと自分なりに思っています。
同期で叙階された4人のうち、すでに2人は帰天し天の故郷に帰っていきました。二人とも秋田教会で働いたことがある司祭でした。数年前に帰天された坂本進神父と今年3月に帰天された竹谷基神父です。竹谷神父とは亡くなる一週間前に面会ができ、体調が良かったのか45分もあれこれ話すことができました。たくさんの人に支えられながら二人とも司祭職を全うされていきました。「道は一本 単純で まっ直ぐがいい。何かを欲しがると欲しがったところが曲がる。道は一本 まっすぐがいい」(相田みつを)。日々回心して軌道修正をしながらこの詩のように生きたいと強く思いました。私も来年は69歳、主任司祭定年まで後6年、残り少ない年数ですが、今自分にできる最後の仕事を果たしていきたいと思っています。
 クリスマスは一年の終わりにお祝いされます。そこで今年一年を振り返り自分にとって、秋田教会で特に心に残っている出来事を二つ記してみたいと思います。
 一つ目は9月29日に行われた秋田殉教者400周年です。教会としては二年近く黙想会や信徒養成講座、勉強会等を通して殉教者について学んできました。こまごまとしたことは忘れてしまっても、その生き方、信仰の力強さを改めて自覚することができました。いのちは一番大切なものですが、彼らはいのちの与え主に目を向けていました。外は迫害の嵐にありましたが、心は自分の生き方を決める自由であふれていました。不自由な環境のなかでも心の自由はだれも奪うことはできませんでした。
病院で、医師から胎児である子どものいのちを取るか、自分のいのちを取るか選択を迫られたお母さんがいました。お母さんは迷うことなく子どものいのちを助けて欲しいといいながら自分のいのちを差し出していきました。そしてこのお母さんも殉教者の一人となりました。私たちの周りにもこのような殉教者がたくさんいるのだと思います。自分のエゴに死ぬこと、自分のことよりも他の人のことを優先する人、この人たちも殉教者の一人なのだと思います。
殉教者の記念ミサの中で、成井司教様が「信仰は自分が何に生かされているのか、何のために生きるのか、という譲ることのできない『生き方』そのものです。・・
この日を記念するのは殉教者をたたえるだけではなく、その証しによって伝えられた信仰を今、私たちがいきるためでもある」とお説教のなかでまとめて下さり信仰のバトンを受けとる良い日になったと感じました。また、基調講演をして下さった川村神父様がローマ字で書かれた秋田殉教者の名前の漢字名簿作成に難儀されたこと、そして、「この人たちの名前を思い起こすために今日の式典にきたのです」ということばが、印象的でした。殉教者の流した血は教会の種となりました。この譲ることのできない信仰のバトンを私たちも多くの人につないでいくことができるように努めてまいりましょう。
二つ目の心に残った出来事は10月20日に行われた国際ミサです。
今年は今まで午後2時から始めていた国際ミサに日本人の参加者が少なかったので、午前11時から始めることにしました。お御堂は席がいっぱいになり、祭壇前の装飾も多様性を表していました。そして、多言語での歌や朗読、共同祈願と参加者が一つになって神様を賛美することができました。丁度、私の司祭叙階40周年も一緒にお祝いして下さり、司祭冥利に尽きるなと感じました。皆が一つになっている姿こそ何より司祭として嬉しいことはありません。その後、交流会に入りました。ベトナム料理、フィリピン料理、日本料理をそれぞれ手作りで準備してくださり、コロナ後、体力的にバザーもできなくなり、全体で交わる場がありませんでしたので、本当に素晴らしいひと時を過ごすことができました。「愛といつくしみのあるところ そこに神はおられる」という歌がありますが、その歌の通りそこにキリスト様が生まれてくださったことを感じることができました。世界ではウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、ミャンマー、スーダン等、戦争の狂気に見舞われている国々の人々がいます。その人々の苦しみが一日も早く取り去られますように、平和への願いを強めていきたいと感じました。世界が和解と一致の道に向かうことができますように、祈ってまいりましょう。
 以上が今年を振り返って私の中で特に心に残った出来事でした。そして、善意ある私たちの小さな行いの中に、キリスト様が生まれておられることを確認していきたいです。
 キリスト様の誕生は飼い葉桶で始まりました。飼い葉桶は餌箱です。自分が食べられるために、この世にきたこと、自分を与えるために生まれた事、それは殉教者の歩みとなりました。そして、その教えは端的に言うと生きることは愛することであることを教えてくれました。何故なら愛することによって私たちは一つになることができるからです。
 日々の中に殉教者としての生き方ができるように、そして、皆が一つになるように神と人々の為に働くことができますように、どうぞ神様、聖霊の力を私たちに豊かにお注ぎ下さい。
 皆さんクリスマスおめでとうございます。

 

飯野耕太郎

2024年11月30日

2024.8 マリアに倣いて  主任司祭 飯野 耕太郎

 昨年の被昇天ミサは秋田大雨水害(7月15日)を経験した丁度1ヶ月後でした。
被害を受けた方々はまだ家の片づけに追われていましたので参加できなかった人たちもいたと思います。
マリア様が出産間近なエリザベトを訪問したように、教会の信者さんたちも被害を受けた方々のお家を訪問し、そこで互いに心を通わせることができました。

そして新たな絆が生まれたように思います。
また、マリア様はイエス様の出産後、家を追われヨセフ様に伴われ、幼子イエス様を連れてエジプトで難民生活を送ることになります。
同じようにウクライナやミャンマー、イスラエルのガザ地区の方々も戦争で家を追われ家族を殺され、難民となることを余儀なくされています。
他の国々にも同じような境遇の方々が大勢おられます。
マリア様はそのような方々の気持ちも理解できる方です。
平和の元后マリアの取り次ぎを願いながら、あきらめない心で平和の為に祈り続けたいと思います。
そして、マリア様は無原罪のマリアとも言われます。
無原罪であるからと言って、世の中のごたごたした面倒と思われることから免除された訳ではありませんでした。
むしろそれらを受けとって、分からないことがあっても胸の中で温め、それらの中に意味を見出していったのではないでしょうか。
言葉に出してしまえば愚痴になります。
そのような思いを心の中に納め温め続けることは難しい事です。
「神のごとくゆるしたい人が投ぐるにくしみを むねにあたため花のようになったらば 神のまえにささげたい」(八木重吉)。
無原罪のマリアと言われるゆえんはこのような姿勢の中にあるのかもしれません。
 話は変わりますが、アウシュビッツ強制収容所から奇跡的に生還したヴィクトール・エミール・フランクル。
彼の愛する両親、最愛の妻は収容所で殺害されました。
解放されたフランクルは悲しみのあまり自殺まで考えたそうですが、友人たちの助けにより立ち直っていきました。
そして、収容所で経験したことを「夜と霧」という本にまとめ世に出しました。
また、彼はロゴ・セラピーという理論を確立していきました。
ロゴはロゴス(言葉)という意味がありますが、彼はロゴを「意味」という語で使いました。
セラピーと言うのは心理療法のことです。
ですので、ロゴセラピーというのは、人生にはどんな時にも意味があることを教え伝えていく治療方法といっても過言ではないと思います。
人は生まれながらにして良きことをするために生まれてきたこと。
誰かの役にたちたいと思う気持ち、それは死ぬときまで持ち続けることができるということ。
それらの前向きな考えを患者さんの治療に用いていきました。
人生の苦しみの多くは苦しみに、意味を見出せないことにあると言ってもよいと思います。
苦しみ自体はなくならないかもしれませんが、苦しみに意味を持たせることによってそれは担いやすくなります。
フランクルは収容所の中でもそれを自ら実践し、他の収容者にもそれらを伝え励ましていました。 
同様に、マリア様の生き方も、分からないことがあってもそれらの中に必ず意味があることを信じながら良きことを選択していきました。
神様はマリア様の言葉、行いを全て良しとされました。
その全面的な受容を被昇天という形であらわしたかったのではないでしょうか。
 また、フランクルは強制収容所で苦しみを味わいましたが、恨みの言葉は吐かなかったと言います。
それは「悪の鎖」を断ち切りたかったからです。
人類の歴史の中では、国と国、また、民族と民族が争いを起こすと、その報復として再び争いが繰り返されます。
フランクルはこの悪の鎖を断ち切りたかったのです。
戦後のフランクルが、決してドイツ人全体を集団的に非難したり、ユダヤ人全体を擁護したりしなかったのはこのような考えからきていると言います。
イエス様の十字架のもとに佇むマリア様も十字架につけた人々を恨まず耐え忍んで行かれました。
今では私たちの取り次ぎ者になっておられます。
そして、イエス様と共に悪の連鎖を断ち切られました。
マリア様の仰せの如くという言葉は彼女の生涯を貫き、復活の先取り者としての使命を被昇天という形で神様から与えられていきました。
私たちもマリア様の生き方に倣いマリアの取り次ぎをいただきながら、いつも良きものを選択していくように歩んで行きたいと思います。

 

飯野耕太郎

2024年08月06日

2024.3 希望の光であるキリストに向かって  主任司祭 飯野 耕太郎

 主のご復活おめでとうございます。
今年は暖冬のせいか雪が少なくて、雪かきの回数も昨年に比べると半分以上減ったように思います。
元旦に起きた能登半島地震で大勢の方々が亡くなり、避難生活を余儀なくされておられる方々も大勢おられます。
そして、そのために尽力されておられる方々もたくさんおられます。
 また、被災地の惨状を見てパレスチナのガザ地区の惨状と重なってしまいました。
戦争による死への恐怖、衛生環境の悪化による感染症、住居が破壊され、寒空に身を置く辛さ、電気や水が使えないもどかしさ、食料が手に入らない絶望感。
紛争地で生まれ生きていかなければならない子どもたちの悲しみや怒り。
それらを見るにつけ無力感に襲われてしまいます。
 どうか主の復活の希望が世界中の多くの人々を励まし、力づけてくださいますようにと祈らざるを得ません。
草花が芽吹くいのちの躍動を感じさせるこの季節に少しでもいのちの希望の息吹を感じることが出来ますように。
 主の復活の主日の福音書は毎年、同じところが読まれます。
ヨハネ福音書20章1節から10節です。マグダラのマリアが主を葬った墓が空であったことを、ペトロとイエスが愛しておられたもう一人の弟子に走って知らせに行きます。
すると二人は走って墓に向かいます。
復活の朝は皆が走っています。
神の大きな愛に向かって走っているようです。
キリストの大きな愛に向かって走り出したペトロにとって絶望が大きかっただけに復活の出来事は強烈な体験になりました。
師を裏切った自分を暖かくつつみこむ神の愛の力強さの体験、死を超える神の力の体験。それらのものをキリストのもとに向かったが故に、彼は徐々に体験していったのだと思います。
キリストを離れては、私たちは何もできません。実を結ぶことはできないのです。
 私たちも希望の光であるキリストに向かって走っていきたいと思います。
 傷だらけの一生を地上で過ごされたイエス様は、復活後もその栄光に輝く体に、しっかりと十字架上での傷跡を残しておられました。
敗北の印以外の何ものでもない、そしてご自身にとってけっして楽しい思い出でないはずの傷を復活後のイエス様は「私であるという印として」しっかりと残しておられました。
 小神学校から大神学校まで進んだ一人の神学生が中間期をもらい社会に出ました。
そして、東京にあるシスターたちのやっておられる老人施設の仕事をお手伝いすることになりました。
彼はいろいろな人たちと出会い、良い体験を多くしました。
そんな中で彼の母親が病気になりました。
仕事の疲れや家の引っ越しが重なり眠れない眠れないと言うようになったのです。
家族で相談し、彼の職場近くの病院に入院することになりました。
彼の母親は精神的に疲れ果て、鬱病にかかっていたのです。
そして仮退院をしたある日の夕方、突発的に自らの命を絶ったのです。
家族の驚きと落胆は言うまでもありませんでした。
亡骸を囲んで泣き明かしたと言います。
何日たっても悲しみの痛みは消えません。
そんな中に彼や彼の家族と共に歩み、励ましてくれた何人かの人たちがいました。
そして彼の母ため、家族のために手を置いて祈ってくれたそうです。
その時、痛みが消えたと言います。
傷跡は残りましたが、不思議と痛みが消えましたと。
彼はその時、神様が触れて癒して下さったと感じました。「あなたがたに平和があるように」。痛みを背負い戸に鍵をかけて隠れていた弟子たちに投げかけたあの同じ言葉をまた、彼
にも復活し今も生き働いておられる主は投げかけてくれたのです。
それ故、彼は悲しみのどん底から立ち直ることができたのです。
そして、神学校に戻り、司祭になって今年で40年を迎えることができました。
司祭は弱さを持ちながらキリストの手となって奉仕することができます。
聖霊と共に洗礼を授ける手、ホスチアをキリストの御からだに変え、信徒に与える手、罪を赦し、病む人を慰める手、夫と妻を結び合わせる手、それはとても尊いことなんだと思います。

 秋田教会で奉仕してくださった永山誠神父様が1月29日71歳で帰天されました。帰天される数年前からは病気になり昨年後半からは寝たきり状態になりました。
今まで奉仕していた手が、今度は奉仕される手となりました。
とても辛い状態だったと思います。
けれども十字架につけられたキリストも同じでした。
今までできていたことが何もできなくなるという事は辛いことですが、そのような病気をかかえている人たちの気持ちが分かるということはおおきな恵にもなり得たのではないでしょうか。
神父様の歩みを振り返ってみると任命を受けた時、いつもハイといってそれを受け入れていった事です。
受けたくない任命もあったと思いますが、ハイといって受け入れていきました。
ですから、何もできなくなった時、それさえもハイといって受け入れていかれたのだと思います。
キリストと共にキリストのうちに、栄光は父と子と聖霊に、初めのようにいまもいつも世々にアーメン。
栄光は父と子と聖霊に捧げるために私たちは召されています。
神父様はベットを祭壇に司祭の手であるご自身をキリストと共に捧げていかれたのだと思いました。
それは司祭の手の完成形となりました。復活の主は言われます。
「あなたの信仰があなたを救った」。
信じたと通りになりますように。
私たちもそれぞれの歩みの中で、主に信頼しながら、主と共に歩んでまいりましょう。
復活なさった主はそばにいて力づけて下さいます。
良き時も良いと思えない時もすべてを良きに変えて下さるのは主ですから。
皆さん、主のご復活おめでとうございます。

 


飯野耕太郎

2024年03月02日

2023.12 主のご降誕を祝うにあたって  主任司祭 飯野 耕太郎

 主のご降誕おめでとうございます。
今年を振り返って見る時、悲しいことが多かったように思います。
私たちの周りにも悲しい事が起こりました。
7月の秋田大雨災害、被災された方々は今も心に重いものが残り思い出したくない方もおられるかもしれません。
また、冬に向けて家の修繕が追い付かず不安を抱えておられる方もおられます。
そして、世界に目を向けるとロシア・ウクライナの戦争が影を落とし、たくさんの人が毎日死んでいるにもかかわらず停戦の見通しも未だたたないでいます。
そして、新たに起こったイスラエルとハマスとの戦争、罪のない民間人、子どもや女性、お年寄り、病人の方々が大勢犠牲になっています。
どうして人間はこんなにも愚かで悲しい生き物なのかと叫びたくなります。
幼子の誕生もかつてこんなどうしようもない世界の有様の中で静かに起こった出来事だったのかもしれません。
けれども、クリスマスは皆の心を温かくする不思議な力がありました。
 「降誕祭、クリスマス、ヴァイナハット、ノエル、ラズジュストヴォ、世界のあらゆるところで誰が強制するわけでもないのに、多くの人が、共に祝い、共に歌い、共に祈り、共に礼拝する。
降誕祭には愛があり、和解があり、希望がある。私たちの心をもう一度上に向ける希望がある。」(鈴木正久牧師)。
 幼子の誕生は共に祝いたくなる不思議さが確かにあります。
幼子のことを「みどりご」とも言います。「みどりご」の「みどり」という言葉からは、平和、やすらぎ、元気などが連想され、明るく生き生きした子どもたちの姿が連想されます。
英語のgreenは、grassやgrowと同じ語源を持っているそうです。
古今東西を問わず「みどり」という言葉から、自然、成長、若々しさ、さわやか、健康等「生命」をイメージすることが多いようです。
では、植物の葉はなぜ緑色なのでしょうか?

この問いかけに、以前天王みどり学園の校長だった橋本雅之先生がこのように説明されていました。
「植物は太陽の光を吸収し、光合成により成長します。
太陽からの可視光線は、波長の短い紫色から波長の長い赤色まで広がっています。
その中で最も強い光は、緑色です。
ところが、葉はあえてこの緑色を光合成に使わずに反射し、赤と紫色の弱い光の部分を吸収しています。
だから葉は緑色に見えます。もし、植物が利己的ならば、光をすべて吸収し葉の色は真っ黒になったはずです。
植物は、自分の繁栄ばかりではなく、自分の取り分を小さくして他の動植物に光を分け与え、「共生」する道を選んだことになります。」と。
この話を聞いて感動したことがありました。
 幼子イエス様はインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれると聖書は記しています。
神は共に生きてくださる方なのです。
植物が共生の道を選んでいるのも神の望みにハイといって生きているように人類も神の呼びかけにノー、と言うのではなくハイと言える回心の道を歩みながら、共に生きる道を選択しなければいけないのだと思います。
クリスマスはそのことを私たちに教えています。
 クリスマスの朗読の中に天使が現れて羊飼いたちに告げる場面があります。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。」と。
まるでポエムのように天使が現れるのです。
クリスマスが伝えているのは、目に見える物質の世界は、目に見えない霊的な世界と結びついているということをいいたいのだと思います。
現代人は何でも物事をいつの間にか科学的に見てしまうことに慣れてしまいました。
科学では解明できないことがこの世のなかにはたくさんあるのに目に見えないものを大切にする宗教を忌避するようになりました。
「現在の人間は多くの恩恵を受けているが、近代科学的な方法や考え方ですべてのことがわかると思いこむと、そこには大きい危険があり、心の問題や、たましいのことがまったく忘れ去られることになる。」(「心の深みへ」河合隼雄・柳田邦男)。
また、目に見えるものは目にみえないものと結ばれていることを「サンタさんは本当にいるんですか?」ということを問いかけた子どもの質問にニューヨークの記者が、目に見えない世界には、どんなに力があっても、こじ開けることができない、カーテンみたいなものがかかっていて、それをあけることができるのは素直な心とか寄り添う気持ちや誰かを好きになる心だけが、そのカーテンを開けることができて、その向こうのすごく奇麗で、素敵なものを、見たり描いたりすることができる。
というようなことを述べていました。
目に見えないものは目に見えるもの繋がっていることをもっと大事にしていかなければいけないと思います。
クリスマスの出来事はその事を、また、改めて私たちに教えてくれているようにも思い
ます。
目に見えない神が目に見える姿で私たちの世界に来て下さいました。
そして、私たちがどのように生きたら良いかを教えてくださいました。
人は共に助け合って生きるように造られたこと。
そして、私たちを愛して下さる父である神にいつも目を向けて生きていくように招かれているということです。
いのちはそのように用いてこそ輝くものである事を十字架と復活を通してイエス様は示して下さいました。
神の愛がぎっしり詰まっている主の降誕。
幼子イエス様を喜んで私たちの心に迎えましょう。
「私たち一人ひとりがその存在を全面的に肯定されているということ。
私たち一人ひとりは私たちを超えたものによって癒され、生かされているということ。
だから、弱さや失敗や罪にもかかわらず、それらを持ちながら生きていっていいのだということ。
神のいのち、赦しは、わたしたちの罪よりも大きいことを安心して信じていいのだということ。
それが、今日のクリスマスのメッセージであります。」
皆さん主のご降誕おめでとうございます。



飯野耕太郎

2023年12月02日

2023.8 聖母マリアの祝日の祝い方  主任司祭 飯野 耕太郎

 現在ローマ・カトリック教会が定めている聖母マリアの祝日は11あります。
その他、5月の聖母月、10月のロザリオの月と月単位でも祝われています。
 それは諸聖人の中でも群を抜いた回数ですし、また、私たちに身近な母としていつも寄り添っておられることを表している数のようにも思えます。
 そして、第二バチカン公会議文書の典礼憲章(103)は次の3つの点から聖母の祝日を祝う私たちの態度を教えています。
①聖母の祝日は、キリストの過越しの神秘(受難・死・復活)の中に統合されているということ。
つまり「聖母は切り離すことができない絆によって、神の救いのわざに結ばれている」方であり、それぞれのマリアの祝日は、キリストの救いのみわざのある部分を表しているということです。
②は聖母がご自分の固有の信仰の歩みにおいて、神のあがないの実りとなったことです。
「あがないの最も優れた実り」とも言われています。
③は神のみ摂理に自らを委ねたマリアの希望に学ぶこと。
 そして、マリアのうちに、自分が完全にそうありたいと欲し、希望しているものを、喜びをもって見つめる(観想する)ことを教えています。
 私たちの喜びも悲しみもマリアのように希望をもって受け入れ神様のみ業の完成(神の国の完成)に役だたせていただけますようにマリア様の模範と取次を願いましょう。
 次に、マリアの祝日である聖母の被昇天が8月15日に制定されたことですが、歴史的に次のように言われています。
 5世紀のエルサレムでこの日に祝われていた神の母マリアの記念は、6世紀には、マリアの死去の日として東方教会で祝われるようになりました。
 この死去は、マリアが天に召されたことを永遠のいのちのうちに誕生したこととして記念されたようです。
 やがて7世紀半ばに西方教会にも受け継がれ教皇セルジオ1世(在位687~701)は、復活徹夜祭やハドリアヌス教会からサンタ・マリア・マジョーレ教会までの行列などで盛大に祝っています。
 マリアの被昇天の名で知られるようになったのは、8世紀末になってからです。
 こうして1950年のピオ12世の教義宣言に至るまでマリア信心の深まりと同時に、次第にこの日を特別な日として祝うようになりました。
 8月15日は日本にとっても忘れられない日となっております。
 それは、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しミサを捧げた日でもあり、第二次世界大戦が、終結した日本の終戦記念日でもありました。
 戦後の日本はその後、平和憲法9条に守られ、人を殺すことも殺されることもありませんでした。
 平和と希望の母である聖母マリアに、私たちは教会や日本国の現在と未来を託してまい
りましょう。
 多くの弟子たちが怖れで振るえていた、生まれたばかりの教会が結束を保持ち得ていたのは 御子への全幅の信頼を持って聖母が希望を植え付けてくれていたからです。
 私たちもこの希望に支えられながら自分のおかれた場所でいたわりの心と平和への思いを強めてまいりましょう。



飯野耕太郎

2023年08月01日
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