2024.8 マリアに倣いて 主任司祭 飯野 耕太郎
昨年の被昇天ミサは秋田大雨水害(7月15日)を経験した丁度1ヶ月後でした。
被害を受けた方々はまだ家の片づけに追われていましたので参加できなかった人たちもいたと思います。
マリア様が出産間近なエリザベトを訪問したように、教会の信者さんたちも被害を受けた方々のお家を訪問し、そこで互いに心を通わせることができました。
そして新たな絆が生まれたように思います。
また、マリア様はイエス様の出産後、家を追われヨセフ様に伴われ、幼子イエス様を連れてエジプトで難民生活を送ることになります。
同じようにウクライナやミャンマー、イスラエルのガザ地区の方々も戦争で家を追われ家族を殺され、難民となることを余儀なくされています。
他の国々にも同じような境遇の方々が大勢おられます。
マリア様はそのような方々の気持ちも理解できる方です。
平和の元后マリアの取り次ぎを願いながら、あきらめない心で平和の為に祈り続けたいと思います。
そして、マリア様は無原罪のマリアとも言われます。
無原罪であるからと言って、世の中のごたごたした面倒と思われることから免除された訳ではありませんでした。
むしろそれらを受けとって、分からないことがあっても胸の中で温め、それらの中に意味を見出していったのではないでしょうか。
言葉に出してしまえば愚痴になります。
そのような思いを心の中に納め温め続けることは難しい事です。
「神のごとくゆるしたい人が投ぐるにくしみを むねにあたため花のようになったらば 神のまえにささげたい」(八木重吉)。
無原罪のマリアと言われるゆえんはこのような姿勢の中にあるのかもしれません。
話は変わりますが、アウシュビッツ強制収容所から奇跡的に生還したヴィクトール・エミール・フランクル。
彼の愛する両親、最愛の妻は収容所で殺害されました。
解放されたフランクルは悲しみのあまり自殺まで考えたそうですが、友人たちの助けにより立ち直っていきました。
そして、収容所で経験したことを「夜と霧」という本にまとめ世に出しました。
また、彼はロゴ・セラピーという理論を確立していきました。
ロゴはロゴス(言葉)という意味がありますが、彼はロゴを「意味」という語で使いました。
セラピーと言うのは心理療法のことです。
ですので、ロゴセラピーというのは、人生にはどんな時にも意味があることを教え伝えていく治療方法といっても過言ではないと思います。
人は生まれながらにして良きことをするために生まれてきたこと。
誰かの役にたちたいと思う気持ち、それは死ぬときまで持ち続けることができるということ。
それらの前向きな考えを患者さんの治療に用いていきました。
人生の苦しみの多くは苦しみに、意味を見出せないことにあると言ってもよいと思います。
苦しみ自体はなくならないかもしれませんが、苦しみに意味を持たせることによってそれは担いやすくなります。
フランクルは収容所の中でもそれを自ら実践し、他の収容者にもそれらを伝え励ましていました。
同様に、マリア様の生き方も、分からないことがあってもそれらの中に必ず意味があることを信じながら良きことを選択していきました。
神様はマリア様の言葉、行いを全て良しとされました。
その全面的な受容を被昇天という形であらわしたかったのではないでしょうか。
また、フランクルは強制収容所で苦しみを味わいましたが、恨みの言葉は吐かなかったと言います。
それは「悪の鎖」を断ち切りたかったからです。
人類の歴史の中では、国と国、また、民族と民族が争いを起こすと、その報復として再び争いが繰り返されます。
フランクルはこの悪の鎖を断ち切りたかったのです。
戦後のフランクルが、決してドイツ人全体を集団的に非難したり、ユダヤ人全体を擁護したりしなかったのはこのような考えからきていると言います。
イエス様の十字架のもとに佇むマリア様も十字架につけた人々を恨まず耐え忍んで行かれました。
今では私たちの取り次ぎ者になっておられます。
そして、イエス様と共に悪の連鎖を断ち切られました。
マリア様の仰せの如くという言葉は彼女の生涯を貫き、復活の先取り者としての使命を被昇天という形で神様から与えられていきました。
私たちもマリア様の生き方に倣いマリアの取り次ぎをいただきながら、いつも良きものを選択していくように歩んで行きたいと思います。
飯野耕太郎