2022.8 聖母の被昇天によせて   主任司祭 飯野耕太郎

教皇ピオ12世(在位1939~1958)は、1950年11月1日全世界に向けて、マリアの被昇天を教義として公布しました。

お祝いする8月15日については皇帝マウリチウス(602年没)によって確定されたそうですが、この当時は「神の母マリアの日」として祝われたそうです。

12世紀以降マリアの被昇天は、全教会の普遍的な信仰となりますが、全世界の祝日と宣言されるまでには長い年月が必要でした。

それだけマリア様は愛された存在であり、模範でありました。

マリア様のお祝い日は、私が知っている限りでも年間に15程あります。

他の聖人に比べても群を抜いています。

そしてマリア様は、いつもイエス様と心を一つにしています。

9月14日は十字架称賛のお祝い日ですし、翌日の15日は悲しみの聖母の記念日になっています。

また、6月24日はイエスの聖心のお祝い日ですし、翌日の25日は聖母のみ心の記念日になっています。

                     
マリア様はイエス様ともそうでしたが、私たちのお母さんとしても常に寄りそって下さる方です。

そして、神様の祝福を分かちあわれる方でした。

当日のミサの集会祈願では次のように祈っています。

「全能永遠の神よ、あなたは、おんひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、からだも魂もともに天の栄光に上げられました。

信じる民がいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように」。

このことから聖母の被昇天の祝日は、聖母マリアが天の栄光に迎え入れられたように、信じるすべての人々が聖母とともに天の栄光に受け入れられるという希望を新たにする日でもあるのです。

 

キリストの救いに完全に与り、天の栄光に上げられたマリア様は、同時にわたしたちの母として、私たちすべてのいのちを見守りかつ寄り添ってくださる方なのです。

一人の人が苦しめば、自分も苦しみ、一人の人が殺されれば、自分も槍で胸を貫かれる傷みを味わっておられるのです。

マリア様を私たちのお母さんとしてくださった神様に感謝いたしましょう。

寄り添うということで次の話を最後に分かち合いたいと思います。


ハンセン病者のお世話を長い間なさった100歳を超えるフランス人のシスターが後輩のシスターに次のようなことを分かち合ってくれたといいます。

「私は死んだら会員のお墓ではなく、患者さんのお墓に入りたい」と。

それはこういうことでした。

シスターは自分なりに一生懸命働いたけど、今思うと本当にそれでよかったのかと疑問を感じている。

患者さん一人一人の母親は自分の故郷にいる母親一人なのに、自分たちシスターを「母さま」と呼ばせて、あたかも患者さんのことを何でもわかっているお母さんのように思いこんでいた。

暖かい家庭のような雰囲気を作って、かえって文句を言えないようさせていたのではなかったか。

だから、神様のもとに行ったら、何でも心のうちのことも話せるので、患者さんの近くに行って、本当の気持ちを聞いて、わかっていなかったのに、分かったふりをしてごめんなさい。と謝りたいということだった。

この話を聞いて、マリア様だったらどうなさっただろうと考えさせられました。

また同時に、年老いたシスターの中にマリア様が生きておられることも感じました。

御子の十字架の下に佇まれたマリア様の心に、私はイエス様のことを理解してきたのだろうか。という疑問が起こっても不思議ではありません。

けれども、マリア様の被昇天はマリア様のやってきたこと、言ってきたことのすべてを神である父は良しとされたということを表しています。

相手に寄り添うことはむずかしいことですが、寄り添うことをやめないで、分からなくなっても、どうしたらいいか心の中で温め続けたマリア様を模範にしていけたらと思います。

また、8月15日は終戦記念日にもあたります。

世界の
各地で起こっている紛争、そしてウクライナでの戦争
、そこには毎日たくさんの人の命が奪われている現実
があります。平和の元后であるマリア様の取次を願い
ながら、私たちも平和の実現のため、困難のうちにあ
る方々に寄り添ってまいりましょう。

 

2022年08月02日