2023.8 聖母マリアの祝日の祝い方 主任司祭 飯野 耕太郎
現在ローマ・カトリック教会が定めている聖母マリアの祝日は11あります。
その他、5月の聖母月、10月のロザリオの月と月単位でも祝われています。
それは諸聖人の中でも群を抜いた回数ですし、また、私たちに身近な母としていつも寄り添っておられることを表している数のようにも思えます。
そして、第二バチカン公会議文書の典礼憲章(103)は次の3つの点から聖母の祝日を祝う私たちの態度を教えています。
①聖母の祝日は、キリストの過越しの神秘(受難・死・復活)の中に統合されているということ。
つまり「聖母は切り離すことができない絆によって、神の救いのわざに結ばれている」方であり、それぞれのマリアの祝日は、キリストの救いのみわざのある部分を表しているということです。
②は聖母がご自分の固有の信仰の歩みにおいて、神のあがないの実りとなったことです。
「あがないの最も優れた実り」とも言われています。
③は神のみ摂理に自らを委ねたマリアの希望に学ぶこと。
そして、マリアのうちに、自分が完全にそうありたいと欲し、希望しているものを、喜びをもって見つめる(観想する)ことを教えています。
私たちの喜びも悲しみもマリアのように希望をもって受け入れ神様のみ業の完成(神の国の完成)に役だたせていただけますようにマリア様の模範と取次を願いましょう。
次に、マリアの祝日である聖母の被昇天が8月15日に制定されたことですが、歴史的に次のように言われています。
5世紀のエルサレムでこの日に祝われていた神の母マリアの記念は、6世紀には、マリアの死去の日として東方教会で祝われるようになりました。
この死去は、マリアが天に召されたことを永遠のいのちのうちに誕生したこととして記念されたようです。
やがて7世紀半ばに西方教会にも受け継がれ教皇セルジオ1世(在位687~701)は、復活徹夜祭やハドリアヌス教会からサンタ・マリア・マジョーレ教会までの行列などで盛大に祝っています。
マリアの被昇天の名で知られるようになったのは、8世紀末になってからです。
こうして1950年のピオ12世の教義宣言に至るまでマリア信心の深まりと同時に、次第にこの日を特別な日として祝うようになりました。
8月15日は日本にとっても忘れられない日となっております。
それは、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しミサを捧げた日でもあり、第二次世界大戦が、終結した日本の終戦記念日でもありました。
戦後の日本はその後、平和憲法9条に守られ、人を殺すことも殺されることもありませんでした。
平和と希望の母である聖母マリアに、私たちは教会や日本国の現在と未来を託してまい
りましょう。
多くの弟子たちが怖れで振るえていた、生まれたばかりの教会が結束を保持ち得ていたのは 御子への全幅の信頼を持って聖母が希望を植え付けてくれていたからです。
私たちもこの希望に支えられながら自分のおかれた場所でいたわりの心と平和への思いを強めてまいりましょう。
飯野耕太郎