2023.12 主のご降誕を祝うにあたって 主任司祭 飯野 耕太郎
主のご降誕おめでとうございます。
今年を振り返って見る時、悲しいことが多かったように思います。
私たちの周りにも悲しい事が起こりました。
7月の秋田大雨災害、被災された方々は今も心に重いものが残り思い出したくない方もおられるかもしれません。
また、冬に向けて家の修繕が追い付かず不安を抱えておられる方もおられます。
そして、世界に目を向けるとロシア・ウクライナの戦争が影を落とし、たくさんの人が毎日死んでいるにもかかわらず停戦の見通しも未だたたないでいます。
そして、新たに起こったイスラエルとハマスとの戦争、罪のない民間人、子どもや女性、お年寄り、病人の方々が大勢犠牲になっています。
どうして人間はこんなにも愚かで悲しい生き物なのかと叫びたくなります。
幼子の誕生もかつてこんなどうしようもない世界の有様の中で静かに起こった出来事だったのかもしれません。
けれども、クリスマスは皆の心を温かくする不思議な力がありました。
「降誕祭、クリスマス、ヴァイナハット、ノエル、ラズジュストヴォ、世界のあらゆるところで誰が強制するわけでもないのに、多くの人が、共に祝い、共に歌い、共に祈り、共に礼拝する。
降誕祭には愛があり、和解があり、希望がある。私たちの心をもう一度上に向ける希望がある。」(鈴木正久牧師)。
幼子の誕生は共に祝いたくなる不思議さが確かにあります。
幼子のことを「みどりご」とも言います。「みどりご」の「みどり」という言葉からは、平和、やすらぎ、元気などが連想され、明るく生き生きした子どもたちの姿が連想されます。
英語のgreenは、grassやgrowと同じ語源を持っているそうです。
古今東西を問わず「みどり」という言葉から、自然、成長、若々しさ、さわやか、健康等「生命」をイメージすることが多いようです。
では、植物の葉はなぜ緑色なのでしょうか?
この問いかけに、以前天王みどり学園の校長だった橋本雅之先生がこのように説明されていました。
「植物は太陽の光を吸収し、光合成により成長します。
太陽からの可視光線は、波長の短い紫色から波長の長い赤色まで広がっています。
その中で最も強い光は、緑色です。
ところが、葉はあえてこの緑色を光合成に使わずに反射し、赤と紫色の弱い光の部分を吸収しています。
だから葉は緑色に見えます。もし、植物が利己的ならば、光をすべて吸収し葉の色は真っ黒になったはずです。
植物は、自分の繁栄ばかりではなく、自分の取り分を小さくして他の動植物に光を分け与え、「共生」する道を選んだことになります。」と。
この話を聞いて感動したことがありました。
幼子イエス様はインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれると聖書は記しています。
神は共に生きてくださる方なのです。
植物が共生の道を選んでいるのも神の望みにハイといって生きているように人類も神の呼びかけにノー、と言うのではなくハイと言える回心の道を歩みながら、共に生きる道を選択しなければいけないのだと思います。
クリスマスはそのことを私たちに教えています。
クリスマスの朗読の中に天使が現れて羊飼いたちに告げる場面があります。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。」と。
まるでポエムのように天使が現れるのです。
クリスマスが伝えているのは、目に見える物質の世界は、目に見えない霊的な世界と結びついているということをいいたいのだと思います。
現代人は何でも物事をいつの間にか科学的に見てしまうことに慣れてしまいました。
科学では解明できないことがこの世のなかにはたくさんあるのに目に見えないものを大切にする宗教を忌避するようになりました。
「現在の人間は多くの恩恵を受けているが、近代科学的な方法や考え方ですべてのことがわかると思いこむと、そこには大きい危険があり、心の問題や、たましいのことがまったく忘れ去られることになる。」(「心の深みへ」河合隼雄・柳田邦男)。
また、目に見えるものは目にみえないものと結ばれていることを「サンタさんは本当にいるんですか?」ということを問いかけた子どもの質問にニューヨークの記者が、目に見えない世界には、どんなに力があっても、こじ開けることができない、カーテンみたいなものがかかっていて、それをあけることができるのは素直な心とか寄り添う気持ちや誰かを好きになる心だけが、そのカーテンを開けることができて、その向こうのすごく奇麗で、素敵なものを、見たり描いたりすることができる。
というようなことを述べていました。
目に見えないものは目に見えるもの繋がっていることをもっと大事にしていかなければいけないと思います。
クリスマスの出来事はその事を、また、改めて私たちに教えてくれているようにも思い
ます。
目に見えない神が目に見える姿で私たちの世界に来て下さいました。
そして、私たちがどのように生きたら良いかを教えてくださいました。
人は共に助け合って生きるように造られたこと。
そして、私たちを愛して下さる父である神にいつも目を向けて生きていくように招かれているということです。
いのちはそのように用いてこそ輝くものである事を十字架と復活を通してイエス様は示して下さいました。
神の愛がぎっしり詰まっている主の降誕。
幼子イエス様を喜んで私たちの心に迎えましょう。
「私たち一人ひとりがその存在を全面的に肯定されているということ。
私たち一人ひとりは私たちを超えたものによって癒され、生かされているということ。
だから、弱さや失敗や罪にもかかわらず、それらを持ちながら生きていっていいのだということ。
神のいのち、赦しは、わたしたちの罪よりも大きいことを安心して信じていいのだということ。
それが、今日のクリスマスのメッセージであります。」
皆さん主のご降誕おめでとうございます。
飯野耕太郎