つのぶえ巻頭言

カトリック秋田教会報より

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2026.4 最後にはアレルヤという復活の喜びが     飯野 耕太郎

 

主のご復活おめでとうございます。
今年の冬はとても寒く雪の多い年でした。
特にお隣の県の青森や、秋田県でも北部の大館や鹿角は大雪で大変だったようです。
そして、雪の事故で命を落とされた方も多くいました。お気の毒なことでした。
このような厳しい冬でしたので春を迎える喜びは格別なものがあります。
今年に入って私のまわりでは身近な方々で亡くなられたり、病気になって入院されたりしている方々がいます。
こんなに突然にとか、こんなに良い人が何故と神様に問いかけたくなることがあります。
ある朝、突然息子さんが急死されたり、がんと宣告されたり、脳溢血で倒れたり、そういう方々が、何人かおられます。
神様のなさることはよくわかりませんが、必ず意味が隠されているのではないかと思います。
その意味は天国に行ってからあかされるのだと思いますが、今はそのプロセスであり、完成ではない事だけは確かです。

 聖書に書かれている事柄も分からないことが多いです。
私たちの取り次ぎ者であり、良き母であるマリア様も分からないことを心に納めていたと聖書は記しています。
復活の出来事を通して初めてその意味が理解できるということなのでしょう。
マルコ福音書は弟子たちの無理解を至る所に記しています。
けれども福音書の終わりの方では、この無理解だった弟子たちが「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と復活されたイエス様から派遣されています。
そして弟子たちの大半が、後に殉教していきました。
人は嘘の為に、殉教はできないと思います。
無理解だった弟子たちが、信じる者に変えられ喜んで自分のいのちをかけてまで福音を伝えに全世界に旅立っていったのです。
弟子たちの復活体験が如何に大きかったかを物語っています。

 今、重い病気で入院されておられる方、様々な事情で苦しんでおられる方々、その方々の痛みを復活されたイエス様が、み手を触れて癒してくださいますように祈りたいです。
そして同時に、その方々の犠牲が今の世の中の闇の部分をくい止める働きにつながっているような気が致します。
復活されたイエス様と共に、み国の完成に向かって協力して下さっているからです。
いつか私たちも、同じような立場になることがあると思いますが、必ずその犠牲が、何かの役に立っていることを信じていきたいです。

 旧約聖書の中に教会の心ともいわれている150篇からなる詩編が納められています。
詩篇には教訓的なもの、嘆願、賛美が織り込まれています。
神を信じて生きる人が、この世で経験するさまざまな苦しみの中から神に訴えかける嘆きの祈りに満ちていますが、最後の数篇はアレルヤ(主を喜びたたえよ、主をほめたたえよ)という喜びに満ちたアレルヤで終わっていきます。
そこにはこの世での苦しみは、最後にはアレルヤという復活の喜びがあることを暗示しているようです。
この世での苦しみはプロセスであり、完成ではありません。
何故なら主は死に勝利されたからです。
最後には喜びであるアレルヤがあるのです。
 「神をたたえるアレルヤの歌が響く教会は、嘆きに包まれて生きる日々の中で、それでもわたしたちの神への信仰を生き返らせる、わたしたちの信仰者としてのいのちのオアシスです」(吉池好高神父)。
慰められる金言です。

 また、復活されて今も共に歩んでくださっている主が、困難に陥っている兄弟姉妹を力づけてくださっている証の体験があることを私たちは知っています。
私も1つの体験を分かち合いたいです。
私の1年後輩で27歳で帰天された1人の神学生がいました。
彼はポーランドの出身でした。
毎年1回開かれるポーランドの社会・文化に関する全国高校論文コンクールで1976年から77年にかけて2度1位になり、ポーランドの全大学に無試験で入学できる資格を得ました。
しかし、彼はその道には進まず、神学校に入り、宣教師として日本で働くべく名古屋の神言修道会の神学校にやってきました。
明るい性格でみんなに好かれ、あらゆる面で才能を発揮していましたが、来日4年目に体を壊し聖霊病院に入院しました。
診断の結果、悪性リンパ腫瘍、いわゆる末期のガンでした。
彼は亡くなる1ヶ月前に次のような文章をしたためました。
「僕がガンにかかっているか。かかっていないか・・それは大したことじゃない。
ただ神の計画だけが大事なのだ。
僕は生きられるとしても死ぬことになるとしても、神のみ旨のままに委ねるだけ。
主よ、どうかこのことばに今精一杯の力を尽くして、忠実に従うことができるように、僕に勇気を与えてください。
ただ主よ、僕の家族と友人のために願います。
僕のために苦しんでいる彼らの心の重荷を取り除いてください」と。
司祭になって日本で働きたいという大きな希望を抱いてやってきたのに、無残にもその夢は絶たれました。
しかも異国の地にあるため家族とも会うことができず、大変寂しかったと思います。
その寂しさの中にあっても自分のために苦しんでいる家族や友人の心の重荷を取り除いて下さいと願っています。
人間は苦しい状況にある時は普通、自分のことで頭がいっぱいになり、他者のことを考えるゆとりはないのではないでしょうか。
しかし彼は他者のことを考えるゆとりをもっていました。
また、彼は同じ文章の中で次のようなことを言っています。
「主よ、僕は祈る時、良い指導者を、良い先生をとあなたに願いました。
もし、そのような指導者があれば、僕の手をとって、不安に揺れ動く僕の心を静めてくれると思っていました。
しかし、今、あなたは僕が期待するよりものより、もっと偉大なことをあらわして下さった。・・それは主よ、あなたご自身が私のもとに来られたのです。
それはまさに、あなただけ、ただあなただけ、他のものはもう何もいらない。あなただけ」
この文面を読むと復活なさった主が彼のもとを訪れ彼の不安な心を喜びで満たして下さっている様子が伝わってきます。
病気の癒しではなく、主と一つになる喜びを与えてくれました。
私たち洗礼を受けた者のゴールは主と一つになることです。
彼は主と一つになって今も、このような形で宣教しています。
今は天国から私たち仲間を励まし、共に祈り、働いているのだと思います。
何故彼が先に召されていったのかは分かりません。
神様の計画は私たち人間には理解し難いものです。
でも神様は、私たちにとって一番良いことを考えて行ってくださっていることは確かです。
2月11日、それは、聖母のルルド(フランス)でのご出現の日であり、世界病者の日となっています。
ルルドには重篤な病を抱えた方々が世界中から訪れてくる聖地です。すべての人が癒されるわけではありませんが、共通していることはその方々の表情が明るい表情に変えられることです。
来る前と来た後では全然違います。
それは、私は見捨てられてはいない。
神様から愛されているということを実感したのだと思います。
神様に触れられたといっても良いのでしょう。
復活されたイエス様は今も働いておられます。
今、近しい方を亡くされて苦しんでおられる方々、病気で苦しんでおられる方々、そしてその家族の方々、様々な事情で不安に陥っておられる方々、それらの方々を復活された主が、み手を差しのべ癒してくださいますように。
そして、その方々の上に今一番必要なお恵みを与えて下さいますように祈ります。
アーメン、アレルヤ。

 

2026年04月01日

2025.12 「マローンおばさん」からの贈り物      飯野 耕太郎

 

主のご降誕おめでとうございます。2025年という年も、もう少しで終わろうとしています。

 皆さんにとって2025年という年はどのような年になったでしょうか。

年々温暖化の影響で大雨が降ったり、暑くなったり、自然災害がどこで起こっても不思議でなくなってきました。
 また、秋田県ではクマの脅威が日常生活の中にも入ってくるようになりました。

世界の中でも戦争や、紛争が続いています。このように悲しい出来事が多い世の中ですが、人には知られていないところで良い働きをなさっておられる方々もおられます。

2000年前、闇の中に光を灯す存在としてイエス様はひっそりとお生まれになりました。

そこに消えることのない希望の光りが灯されました。


 聖書が伝えている主の降誕の場面に次のようなみ言葉があります。

「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。

宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2章6~7)と。
 自分の居場所がないということは、必要のない存在とみなされ、そこに孤独感が生まれてきます。

ですから成人したイエス様はこのように人々を招いています。

「疲れた者、重荷を負う者はだれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と。

居場所のない人々の気持ちをご存知だからこそ、すべての人を招いて居場所を提供なさっておられているのでしょう。


 最近、購入した本にエリナー・ファージョンの「マローンおばさん」というとても素晴らしい本というか詩に出合うことができました。

独り占めするのはもったいないので少し紹介させていただきます。

「マローンおばさん 森のそばでひとり貧しくくらしていた。

お皿には 一切れのパン だんろには なべひとつ 話し相手も じぶんだけ ひとりぼっちの さびしいくらし。

肩かけをし ずきんをかぶり 家のまわりで たきぎを拾い 古いぼろの 荒布しいて 床の上で ねむっていた。

だれひとり ひとりとて、様子をたずねる人もなく心にかける人もない。

なんで あんなばあさんのこと、大さわぎするんだい。

ほうっておけばいいじゃないか、マローンおばさんのことなんか。

 

ある冬の月曜日 雪は深く ふりつもり 足音ひとつ 聞こえない。

こおった窓をつつく かすかな音に 気がついて おばさんは 窓べによって 耳をすませた。

そこにいたのは スズメが一羽。みすぼらしくもよわりはて、まぶたは半分 ふさがって くちばしも こおりついていた。

おばさんはすぐに窓を開け 小鳥を中に入れてやり 胸にだいて つぶやいた。「こんなによごれてつかれきって! あんたの居場所くらいは ここにあるよ」 火曜日の朝に おばさんがかわいたパンを かじっていると スズメがそばで パンくずつつく。(「仲間がいるとはうれしいね!」
 戸口のところで 音がする、カリカリ つめで ひっかく音が。そこにはネコが一ぴき、かけ金に 前足をかけていた。 おなかをすかせ のどもかわき 棒きれのように やせこけて、こおりついた のき下で かぼそい鳴き声たてていた。

おばさんは とびらを開けてやり パンがゆ すこし温めた。 年とったひざに あやしてやった。

 「まあまあ おまえさん、骨と皮に やせこけて。あんたの居場所くらい ここには あるよ」このように次々と訪問者は訪ねてきました。

水曜日には、お腹をすかせた母さんギツネが六ぴきの やせたほそった子ギツネを連れてきました。

木曜日には重い荷物を 負いつづけ 背中にきずがあるロバがやってきました。

金曜日には お腹を空かしたクマがやってきました。

おばさんは荒布もずきんも 肩かけも、パンもお茶も なにもかも 分けあたえました。

「次から次へと 家族が ふえました。 でももう一ぴきぐらい 居場所はあるよ」と。

土曜日の夜が来て ごはんの時間になったけど おばさんは 起きてきませんでした。

ロバの背中に マローンおばさんを乗せて 動物たちは 運んでいきました。

 日曜日の朝が来て 最後の雲の峰を超え 天国の門へと 進んでいきました。

「だれだね」と門番の聖ペトロさま。

 「おまえたちが そこに連れてきたのは」 ロバにスズメ、ネコにキツネにクマは声をそろえて さけびました。

「ご存じないのですか、わたしたちの母さん、マローンおばさんを。貧しくて なにも持ってはいなかったけれど、広く大きな心で 私たちに 居場所を与えてくれました」

 そのとき マローンおばさんは 急に 目をさましました。

声をひそめて こういった。「まあ、いったい ここはどこ?わたしは なにを見ているの?おまえさんたち、帰りましょう。

 ここは わたしの来るところじゃないよ」 けれども 聖ペトロさまは いった。

「母よ、入って王座のそばへ おゆきなさい。 あなたの居場所が ここにはありますよ、マローンおばさん」


 居場所を持たないマローンおばさん、けれどもたくさんの動物たちに居場所を提供していきました。

この話に出てくる月曜から土曜日は私たちの日常生活のように思えました。

その日常の生活の中で困っている友に居場所を提供していくこと。

土曜日の晩は私たちに訪れる人生の終着点、そして日曜日は神様から与えられる復活の喜びにつなっがっていくのではないでしょうか。

居場所を持たない人たちとは? 私たちの周りに誰かいませんか?
 あなた自身が居場所を持っていないかもしれませんね。

イエス様は、すべての人が憩える居場所になってくれます。

わたしたちもマローンおばさんのようにキリストの光を分かち合っていくことができますように。

 

皆さんクリスマスおめでとうございます。



 

 

2025年12月16日

2025.8 平和をもたらす人は幸いである。  主任司祭 飯野 耕太郎

 戦後80年を迎え、多くの人々が平和を希求しています。
それにもかかわらず、イスラエルはガザを徹底的に破壊し、米国を巻き込んでイランに戦争を仕掛けてしまいました。
本来ならば仲介役になるべき米国が火に油を注いでしまっている有様に怒りさえ感じてしまいます。
大半のイスラエルの国民も、米国の国民も平和を望んでいたと思います。
強権的な政権になってしまうとこんなに世界に混乱と不安を与えてしまうものかとウクライナに戦争をしかけたロシアを見ても思いました。
自分たちの政権を守るために戦争をしかけています。
本来なら、国民の幸福のために奉仕するのが、政治家の務めですが、自分たちの保身のために戦争を起こしているようにしか見えません。本当に残念です。


 「戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。」と広島の平和公園で平和宣言されたヨハネ・パウロ2世の言葉が蘇ってきました。
いつも戦争で犠牲になるのは弱い立場にある子どもやお年寄り、女性たちです。死者何名と数字で情報が淡々と伝えられますが、一人一人のいのちが失われ、そして、それに関連する人々の怒り悲しみ、苦悩がいかばかりかと思います。武器は絶望しかもたらしません。武器は平和をもたらしません。
暴力の連鎖を招くだけです。

 「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」とイエスは言われました。
真実の言葉だと思います。
すべての道はローマに続く。
と言われたあの栄華を極めたローマ帝国も剣で滅びてしまいました。
終戦記念日を迎え、改めて平和の尊さを感じます。
平和は守り育てていかなければいけないと改めて思います。
強権的な指導者たちが、国民の声に耳を傾け自分たちの過ちに気づき、平和への道に舵を切っていくことができますように、そして世界に平和が訪れますように希望を持ってあきらめずに祈っていきたいです。

 

 2019年12月4日、アフガニスタンで中村哲さんが何者かによって銃撃されいのちを落とされました。
まさに平和の為に尽くされた方でした。中村先生はアフガニスタンで人々に医療や衛生、更には小麦、コメ、野菜などをつくる農地に必要な水を提供することによって、人々のいのちを大切にしようというのが、先生の目指していたことでした。
まさに「武器ではなくいのちの水を」という精神が何よりも重要なことだと固く信じ、その手本を自ら行動で示したのでした。
皆さんは、子どもに大人気の、アンパンマンというアニメは良く知っていることでしょう。
アンパンマンの作者やなせたかしさんは、戦争に行って、正義について考えるようになりました。「正義というものは、あやふやなもの、正義はある日、突然、逆転する。昨日まで正しいと思っていたことも、明日には、悪に変わるかもしれない。」と。
本当の正義とは何か?普遍的な正義とは何か?「正義って、何だろうと考え時、自分の身を犠牲にしてでも、人を助けようとすることだという思いが、僕にはありました。」
「大きなことを考えなくていい。身近にいる困っている人たちを助けてあげることが、誰にでもできる正義なんだ」と。
これをやなせさんは「絶対的正義」と言っていましたが、これは中村先生と通じるところがあります。
アンパンマンは、自分の顔をちぎって空腹の人に与えます。
中村先生も空腹のアフガニスタンのひとびとに食べ物を上げたいと思って、砂漠を、食べ物を作る田んぼや、畑に変えるために、必要な水を届けることを考えました。
先生は感染症の患者に抗生物質を与えるよりも清潔な水を提供するほうが、有効だと考え、井戸を掘っていきました。
先生が、掘った井戸は1,600本にも上ったそうです。
また、用水路も作っていきました。用水路全体の設計も手掛けましたが、用水路を完成させたのは現地の農民たちでした。

 アフガニスタンでは、外国が中心となったプロジェクトは、それが終われば持続しないことの方が、一般的でした。
そうした中で、現地の農民たちが自らの手で、つくった用水路は、農民たちの自立にもつながっていきました。
「平和をもたらす人は幸いである。その人は、神の子と呼ばれるであろう」(マタイ5章9)。自分の名誉や保身のためではなく、「身近に困っている人たちを助けてあげることが、本当の正義なんだ」(やなせたかし)。
まさに中村先生はそのような働きをされた方でした。
「人は何のために生まれ、何をすべきか」「人間が一番嬉しいことは何だろう。
長い間考えてきたが、人間を喜ばせることだということがわかった。
人は人を喜ばせることが一番嬉しいんだ」(やなせたかし)。
人を活かす事、平和の為に働くこと、自分がしてもらって嬉しい事を他者にもしてあげること。
昨年、69歳で帰天された竹谷基神父(新司祭として秋田教会で働いた)さんのところにお見舞いの為、多治見修道院を訪問したことを思いだしました。
部屋にはアンパンマングッツの人形がたくさん飾ってありました。
竹谷神父はその日は体調がいつもより良くたくさん話してくれました。
神父さんの行きついた結論は「人をよろばすこと」まさにアンパンマンの姿でした。
司祭として困っている人たちを助け喜ばすこと、それを身をもって生きていたんだと感じました。

 「平和をもたらす人は幸いである。その人は神の子と呼ばれるであろう」
最後に戦後80年を迎え、また、8月15日は聖母マリアの被昇天をお祝いします。
マリア様は平和の元后ともいわれていますので、いつも平和の為に取り次いでくださっています。
人と人を結び、かけ橋となって下さるマリア様、どうぞ私たちも平和の道具としてあなたと共に神様と人々の為に働くことができるようにお導き下さい。
 「主はみ腕をもって力を示し、心の思いの高ぶった人を追い散らし、権力ある者をその座から引きおろし、卑しい者を引きあげ、飢えた者を良いもので満たし、富める者をむなしく追い返されました」(ルカ1章51~53)。このマリアの賛歌がいつの日か実現することを希望しながら、私たちも回心の道を歩みながら自分の身近なところから平和を作ってまいりましょう。
 

 

2025年07月27日

2025.4.20 主のご復活おめでとうございます。   主任司祭 飯野 耕太郎

 主のご復活おめでとうございます。                 


今年の冬は昨年よりも雪の量が多く、寒い日が多かったように思います。
雪かきも大変だったことでしょう。
雪国に住んでいると特に春の訪れが待ち遠しく感じられます。
そして梅や水仙、桜が一斉に咲き誇る春がやってくると嬉しさがこみあげてきます。
この時季に主のご復活をお祝いできることは嬉しい限りです。
桜の花が人を引き付けるように、主のご復活の日曜日は今まで来れなかった信徒の皆さんを教会に引き付ける力があります。
死で終わらない、永遠のいのちがあることを新たに心に刻むことができるからでしょう。


 聖書に復活したイエス様が弟子たちに現れる場面で、八日目に現れたとよく表現されます。
この八日目に関して今は亡き松永久次郎司教様が次のように云われております。
「八日目とは、七日を含むけれども、七日を超えるという意味があります。
私たちはこの地上で七日間生活しているけれども、本当は八日目というお恵みの世界があり、私たちの七日の生活は本来、八日目に方向づけられているのだ。
私たちの人生は七日間の繰り返しであるけれども、最後は八日目に、いつまでも続く永遠の世界にはいるのだ。
こういう信仰を表すための日が日曜日なのです」(祈りと秘跡)と。
その為、私たちは、主の復活を祝うため日曜日にごミサに与ります。
そして、そこから力を頂くのです。復活なさった主が、主の復活を信じないトマスに現れる場面があります。
そこにも八日目が出てきます。
「さて、八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。
それからトマスに言われた。『あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹にいれなさい。
信じない者ではなく、信じるものになりなさい』トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。
イエスはトマスに言われた。
『わたしを見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は、幸いである』」(ヨハネ20章26~29)と。
 復活なさった主の手とわき腹には傷跡が残っておりました。
私たちの長い人生を考える時、誰でも大なり小なり心に生傷があったり、傷跡が残っていることがあることでしょう。
病気をして、手術すれば体に傷跡が残るように心にもそれらのものがあっても当然です。
傷の痛みは消えても傷跡は残ります。
十字架の苦しみを思い出すだろう傷跡をイエス様は、ご自分のしるしとして大切にされました。
そしてその傷跡を弟子にお見せになるだけではなく、触れて見なさいとも言っておられます。
復活なさったイエス様の傷跡は人に癒しとゆるしを与える祝福の傷跡になっていました。


 わたし事で申し訳ないですが、私は小神学校から神学校に入りましたので、このままエレベータのように上に上がっていくことに不安を感じておりました。
今では許されないことですが、大学卒業後、院長神父様にお願いして中間期を頂いて社会に一年間出させて頂きました。
そして、東京にあるシスターたちの老人施設で働かせて頂きました。
50名の利用者がある特別老人ホームでした。
とても新鮮で、充実した経験をさせて頂きました。
色々な人との出会い新しい発見も多くありました。
そんな中、温厚で優しく社交的な母が夜眠れないと言うようになりました。
仕事の疲れや父親の仕事も変り、また、家の引っ越し等も重なったことが負担だったと思います。
 そこで、家族で相談し私の職場近くの病院に入院させてもらうことにしました。どうも、精神的に疲れうつ病になっていたのです。
そして、病院から仮退院したその日に突然、自らのいのちを断ってしまいました。
家族の驚きと落胆は言うまでもありません。
母の気持ちを全然、理解できていなかったと後悔しました。
霊安室の亡骸を囲んで泣き明かしました。
葬儀が済み何日たっても悲しみと痛みは消えませんでした。
そんな中、家族と共に歩み、励ましてくれた人たちがいました。
そして、母の為、家族の為に祈ってくれました。
私も祈りの集いの皆さんが、私の肩に手を触れて祈ってくれました。
その時、身体中が熱くなり、不思議に痛みが消えたのを感じました。
まるで復活なさったイエス様が私に触れ癒して下さったかのように感じました。
その時、神学校に戻って司祭になり、初ミサで母の為にごミサを捧げようと決心しました。
復活なさったイエス様は確かに今も働いておられるのを感じました。
でも、痛みは消えましたが、傷跡は残りました。
しかし、この傷跡を大切にしていこうと思いました。
復活なさったイエス様の傷跡は人に癒しとゆるしを与える祝福の傷跡になっていったように、わたしもこの傷跡を温めながら用いていけたら母も喜んでくれるだろうと思うようになりました。
復活なさった主は八日目に「あなたがたに平和があるように」と痛みを背負い、戸に鍵をかけて隠れていた弟子たちに投げかけたあの同じ言葉を、私にも投げかけて下さったのです。
それ故、失意の悲しみから立ち上がることができました。
この傷跡を何年も心の中であたためました。
そして、ある時、ある教会で分かちあわせて頂きました。
同じ痛みを経験した仲間がいたのです。
分かち合ったことでそこに深い絆が生まれました。
叙階されて初ミサを家族が所属していた鶴見教会で捧げさせて頂きました。
丁度、日曜日の福音の箇所が、一粒の麦の箇所でした。「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12章4)。
それは丁度、母の葬儀の時に読まれた聖書の箇所と同じでした。
きっと天国から母も喜んでくれたのだと感じました。
八日目は誰にでも訪れます。そ
れは私たちの人生で復活した主との出会いの日になるのです。
司祭に叙階されて今年で41年目、69歳になりました。
有難いことに、心身ともに今が一番元気なような気がします。
主任司祭定年(75歳)まで後6年、自分に残された最後の仕事を果たしていきたいと思います。

 主はまことに復活された。アレルヤ。主のご復活の喜びが皆さんの上にありますように。
 

 

2025年04月18日

2024.12 クリスマスは1年の終わり   主任司祭 飯野 耕太郎

 小学校1年の時、神奈川県の川崎市に住んでいました。夜中に目が覚めましたが、両親がいないことに驚きました。何故か分かりませんが、裸足で寝間着のまま走って行ったのが教会でした。子どもの足で15分ぐらいだったような気がします。教会のお御堂は電気が灯っていました。ドアを開けてみると両親がいました。12月24日クリスマスの深夜ミサが行われていたのです。当時はクリスマスイブのミサは深夜だったのです。救い主の誕生に天使から起こされた羊飼いのようにお祝いに走って行ったのかもしれません。ミサ後に親戚のおじさんに肩車をされて両親と一緒に家路につきました。遠いクリスマスの思い出の一つです。司祭に叙階されて今年で40年を迎えることができました。私の召命はこの時にあったのだと自分なりに思っています。
同期で叙階された4人のうち、すでに2人は帰天し天の故郷に帰っていきました。二人とも秋田教会で働いたことがある司祭でした。数年前に帰天された坂本進神父と今年3月に帰天された竹谷基神父です。竹谷神父とは亡くなる一週間前に面会ができ、体調が良かったのか45分もあれこれ話すことができました。たくさんの人に支えられながら二人とも司祭職を全うされていきました。「道は一本 単純で まっ直ぐがいい。何かを欲しがると欲しがったところが曲がる。道は一本 まっすぐがいい」(相田みつを)。日々回心して軌道修正をしながらこの詩のように生きたいと強く思いました。私も来年は69歳、主任司祭定年まで後6年、残り少ない年数ですが、今自分にできる最後の仕事を果たしていきたいと思っています。
 クリスマスは一年の終わりにお祝いされます。そこで今年一年を振り返り自分にとって、秋田教会で特に心に残っている出来事を二つ記してみたいと思います。
 一つ目は9月29日に行われた秋田殉教者400周年です。教会としては二年近く黙想会や信徒養成講座、勉強会等を通して殉教者について学んできました。こまごまとしたことは忘れてしまっても、その生き方、信仰の力強さを改めて自覚することができました。いのちは一番大切なものですが、彼らはいのちの与え主に目を向けていました。外は迫害の嵐にありましたが、心は自分の生き方を決める自由であふれていました。不自由な環境のなかでも心の自由はだれも奪うことはできませんでした。
病院で、医師から胎児である子どものいのちを取るか、自分のいのちを取るか選択を迫られたお母さんがいました。お母さんは迷うことなく子どものいのちを助けて欲しいといいながら自分のいのちを差し出していきました。そしてこのお母さんも殉教者の一人となりました。私たちの周りにもこのような殉教者がたくさんいるのだと思います。自分のエゴに死ぬこと、自分のことよりも他の人のことを優先する人、この人たちも殉教者の一人なのだと思います。
殉教者の記念ミサの中で、成井司教様が「信仰は自分が何に生かされているのか、何のために生きるのか、という譲ることのできない『生き方』そのものです。・・
この日を記念するのは殉教者をたたえるだけではなく、その証しによって伝えられた信仰を今、私たちがいきるためでもある」とお説教のなかでまとめて下さり信仰のバトンを受けとる良い日になったと感じました。また、基調講演をして下さった川村神父様がローマ字で書かれた秋田殉教者の名前の漢字名簿作成に難儀されたこと、そして、「この人たちの名前を思い起こすために今日の式典にきたのです」ということばが、印象的でした。殉教者の流した血は教会の種となりました。この譲ることのできない信仰のバトンを私たちも多くの人につないでいくことができるように努めてまいりましょう。
二つ目の心に残った出来事は10月20日に行われた国際ミサです。
今年は今まで午後2時から始めていた国際ミサに日本人の参加者が少なかったので、午前11時から始めることにしました。お御堂は席がいっぱいになり、祭壇前の装飾も多様性を表していました。そして、多言語での歌や朗読、共同祈願と参加者が一つになって神様を賛美することができました。丁度、私の司祭叙階40周年も一緒にお祝いして下さり、司祭冥利に尽きるなと感じました。皆が一つになっている姿こそ何より司祭として嬉しいことはありません。その後、交流会に入りました。ベトナム料理、フィリピン料理、日本料理をそれぞれ手作りで準備してくださり、コロナ後、体力的にバザーもできなくなり、全体で交わる場がありませんでしたので、本当に素晴らしいひと時を過ごすことができました。「愛といつくしみのあるところ そこに神はおられる」という歌がありますが、その歌の通りそこにキリスト様が生まれてくださったことを感じることができました。世界ではウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、ミャンマー、スーダン等、戦争の狂気に見舞われている国々の人々がいます。その人々の苦しみが一日も早く取り去られますように、平和への願いを強めていきたいと感じました。世界が和解と一致の道に向かうことができますように、祈ってまいりましょう。
 以上が今年を振り返って私の中で特に心に残った出来事でした。そして、善意ある私たちの小さな行いの中に、キリスト様が生まれておられることを確認していきたいです。
 キリスト様の誕生は飼い葉桶で始まりました。飼い葉桶は餌箱です。自分が食べられるために、この世にきたこと、自分を与えるために生まれた事、それは殉教者の歩みとなりました。そして、その教えは端的に言うと生きることは愛することであることを教えてくれました。何故なら愛することによって私たちは一つになることができるからです。
 日々の中に殉教者としての生き方ができるように、そして、皆が一つになるように神と人々の為に働くことができますように、どうぞ神様、聖霊の力を私たちに豊かにお注ぎ下さい。
 皆さんクリスマスおめでとうございます。

 

飯野耕太郎

2024年11月30日
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